2021出版物

2021/12/22

京成電鉄、新京成電鉄、北総鉄道の写真記録 【中巻】赤電登場から成田空港開港の時代

京成電鉄にとって懸案の成田空港は大幅な延期を重ねて開港したものの、不利な位置に設けられたうえに連絡バス利用の京成「成田空港駅(現・東成田駅)」は利用客に不評。期待された「スカイライナー」の乗客数も低迷していた。ライバルの国鉄も成田駅からバス連絡のため鉄道利用は不便極まりなく、「成田空港は遠い」というイメージが一般に定着した。成田新幹線と空港バスによるアクセスを予定したことがそもそもの原因だった。その後の高速道路の渋滞も加わり、鉄道アクセスの改善が叫ばれた。このため国土交通省の指導により、空港ターミナルへの直接乗り入れが実現した。
中巻では、わが国初となった相互直通運転、空港線の建設、空港線開業に向けた取り組み、京成電鉄の経営再建、新京成電鉄の体質改善と躍進、北総開発鉄道の建設と開業、住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線の開業等について、写真とともに紹介する。

2021/12/22

発掘写真で訪ねる 新宿区古地図散歩~明治・大正・昭和の街角~

箱根山に登った。箱根山といっても、都立戸山公園にある人口の山だ。標高は50メートルに満たないから「登った」という表現はいささか大袈裟かもしれないが、周辺の樹林に遮られなかったら、その眺望は往時のように歌舞伎町周辺まではっきりと臨めただろう。
都立戸山公園一帯は、現在、中高層の団地が30数棟建つが、かつて庭付き二軒長屋が1000戸近く、1号地から8号地に区割りされてマッチ箱のように並んでいた。明治時代から戦前まで陸軍戸山学校が展開していた跡地に、敗戦後の住宅難に対応するための二軒長屋を突貫工事で建てた住宅地が「戸山ハイツ」だった。
本書では、新宿区の町名今昔、赤城神社と牛込城、牛込の求心地「神楽坂」の繁華、新潮社と大日本印刷、早稲田大学と学生街の変遷、箱根山が伝える陸軍戸山学校、四谷の繁華は麹町から、新宿メロン物語、「新宿通り」繁華の歩み、新宿を支えた「戦後派」歌舞伎町、京王電車の「出発進行!」、西新宿に埋まる東京の水道史等の歴史テーマを解説。さらに後半は区内全域11エリアの明治・大正・昭和の古地図で見る街の移り変わりを探訪する。

2021/12/20

国鉄優等列車列伝 第2巻 153系電車が走った東海道電車急行

21世紀も5分の1以上が過ぎた現在、東京圏と京阪神の鉄道旅客輸送は東海道新幹線の独壇場であり、在来の東海道本線となると『時刻表』でも全区間を通過する列車は寝台電車特急の「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」のみ。それ以外に東京~三島、富士~静岡、名古屋~神戸間に電車特急が入るものの、通勤形電車が行き交う巨大な都市間連絡線といった感じで、特にJR西日本地域では愛称である「JR京都線」や「JR神戸線」「琵琶湖線」が定着しており、東海道本線の名は忘れられた存在になっているのが実情である。
しかし、東海道新幹線東京~新大阪間が開業する今から57年以上も前は、東海道本線が東京~大阪間を結ぶ旅客を昼夜行ともほぼ独占しており、昼間のスターが「こだま」をはじめとする151系電車特急なら、夜の部は「銀河」など寝台急行が王座にあった。また、当時の優等列車は現在のように特急一択ではなく、特急・急行・準急の3種別から成っていた。これは、スピード・設備など、快適性の代償として支払う料金の違いによる区別だが、それとは別に特急と急行・準急とでは、利用客層にも違いがあった。
東京~関西間急行の歴史を、おもに1960年以降の電車列車にスポットを当て記述することにする。現在でいう普通車(1960年6月30日まで、3等車、以後2等車) はもちろん、グリーン車(同2等車、以後1等車)ですら冷房のない車内。普通車は現在では稀少となった対面式の計4人掛けクロスシートで、多客時には座席奪い合いの揉め事やデッキや通路での“立席承知”は当然の全席自由席、編成唯一の冷房設備を持ち、軽食のほか寿司も摘まめるビュフェなど、若年層の読者の方々には想像もできないが、こうした列車に当時の人々は7時間以上をかけ、東京~大阪間を移動したのである。現在の新幹線電車とはスピードや快適面で比較にならないほどの大差があり、列車内で事務仕事などしようにもできないが、その分景色を眺めたり、合席の人と会話を楽しんだりして、楽しい時を過ごすこともできた。
そうした悲喜こもごもの想いを乗せた東京~大阪間電車急行のほか、本書では類似した編成の車両を使用する名古屋~大阪間や関西~山陽間電車急行、それに同時期に活躍した東京~名古屋間電車急行や修学旅行電車も取り上げた。

2021/12/20

今昔写真と路線分析 都電荒川線の全記録

都電でたった一つ残っている「荒川線」が開業110年を迎えました。荒川線は1911年8月に「王子電気軌道」という私鉄が飛鳥山~大塚(現在の大塚駅前)間で産声を上げたのが最初です。その後しだいに路線を伸ばし、三ノ輪(現・三ノ輪橋)~王子(現・王子駅前)~早稲田間と王子~赤羽間で全通します。その後、戦時になる国策の一環で「東京市電」に移行され、1943年の都政施行とともに「東京都電」になりました。戦後になると乗客数もピークを迎えて繁栄の時代を築きますが、自動車の増加によって都電は「交通渋滞の元凶」とされて廃止への道を辿ります。ところが現在の荒川線区間だけは大半が専用軌道であることや、代替の交通機関が少ないことから存続されることになります。本書は王子電気軌道として誕生してから110年間の史話・逸話、写真や古地図を満載して出版したものです。

2021/11/22

京成電鉄、新京成電鉄、北総鉄道の写真記録 【上巻】 人車軌道の誕生から青電まで

柴又帝釈天詣でからスタートし、東京から成田山を目指した「京成電気軌道」だが、「京成電鉄」と名を変えた現在では、大手私鉄の一角として首都圏の都市輸送を担うとともに、世界に向けた「日本の玄関」としての大きな役割を果たしている。戦後に設立されたグループ事業者の「新京成電鉄」「北総鉄道」も大きく発展した。
本書ではこれら3社を横断的にとらえて、その生い立ちから現在までを3部に分け車両を中心にまとめた。
筆者は太平洋戦争中、東京空襲が始まるということで、現在の市川市に転居して以来沿線に居住し、京成は自宅から最寄りの鉄道として親しんできた。フィルムが入手可能となった戦後の1950年代から半世紀以上に渡って撮りためた写真で、各社の車両の変遷ぶりをお目にかけたい。上巻は青電が活躍する時代まで、中巻は赤電登場から成田空港開港、下巻は昭和末期から現在に至る京成の写真記録をお楽しみいただきたい。

2021/11/22

国鉄型気動車鈍行が走る 日本の鉄道風景【北海道、東北、関東甲信越編】

地域輸送の要として、日本国有鉄道が存在したのは、もはや30年以上も前の昔語りとなってしまった。国鉄時代の地方路線における旅客輸送を支えたのは、同じようないで立ちで全国津々浦々まで進出した一般形気動車だった。時は昭和末期に移り、普通列車にはキハ58等、かつて急行列車等で活躍した車両が入り混じるようになったが、山間区間や海辺を行く短編成の気動車は、四季の移ろいが顕著な日本の風土に良く馴染んだ。
北海道等で赤字地方交通線の廃止が進められた際、路線の最期に寄り添ったのは優しい装いの気動車だった。そして彼らの一部は民営化後も現在まで、本線系の運用等で衰え知らずの走りを見せている。
しかし、国鉄末期に登場したキハ40でさえ、製造から半世紀に至らんとしている今日、僅かに残された活躍の場から、その姿が消える日は確実に近づいている。2022年の春には長距離普通列車が運転されていた根室本線で活躍する車両が、新鋭車に置き換えられる予定だ。
ともすると旅情が希薄になったと感じる現代の鉄道周辺。それでも遠くへ出掛けたいという旅好きの想いはくすぶり続ける。遠くから列車のジョイント音が響いて来るような夜。どこにでもいた一般形気動車の姿を通して、民営化前後にあった温かく彩り豊かな、日本の鉄道情景を振り返っていただきたい。

2021/10/20

国鉄優等列車列伝 第1巻 寝台特急「さくら」「みずほ」

鉄道が国内交通機関の中心だった時代、多くの特急、急行列車が東京、大阪と全国各地を結んでいました。その時代は新幹線は東海道など限られた区間だけで、また飛行機はあまりにも高く誰でも乗れるものではなく、多くの人は在来線の長距離特急、急行列車を利用し、目的地まで丸一日あるいは一昼夜かけて旅をしたものです。車内での乗り合わせた人々とのふれあい、駅弁の味、食堂車での食事と、これらの名列車になつかしい思い出を持つ人も多いでしょう。
そこでこのほど「名列車」シリーズを刊行することになりました。第1回目は東京と長崎、熊本を結んでいた「さくら」「みずほ」を取りあげ、2回目は「なにわ」(東海道電車急行)、3回目は「はつかり」「みちのく」の予定です。以降も全国の思い出深い名特急、急行列車を取りあげます。列車の歴史を当時の時代背景とともに解説し、ベテランファンによる美しい写真とともに鉄道黄金時代へご案内します。執筆は列車運転史の権威である寺本光照と、鉄道と社会とのかかわりを研究する山田亮です。この二人が交互に執筆し、全25回を予定します。

2021/10/19

大人が楽しむ鉄道趣味 ~入門は身近な電車の知識から~

わが国において鉄道趣味は既に市民権を得ており、雑誌や書籍も多数出版されている。しかしそこで紹介される話題は、滅多に乗れない豪華列車であったり、見ること自体が難しい珍しい車両だったり懐古趣味に過ぎるものであったりすることも多い。それらは日頃利用している鉄道とは遠い、マニアックなものが多い印象だ。また、身近な列車や車両の記事でも、乗客よりも鉄道当局に近い立場から書かれた記事が多いように見受けられる。筆者は、鉄道ファンが日頃利用している鉄道車両やサービスを乗客の立場で観察し、楽しみ、考えるところから趣味を出発させるのが本来の姿ではないだろうかと考え、本書をまとめている。

2021/9/21

国鉄旅客列車の記録 【電車・気動車列車編】

筆者の諸河久氏は1960年代から国鉄列車の撮影に親しんできた。とりわけ東海道新幹線開通前の東海道本線は、151系特急電車が東京~大阪間を疾駆する戦後の黄金時代であり、1963年から翌1964年にかけて、東海道本線の優等列車撮影に熱中していた。
以来、半世紀に及ぶ鉄道写真歴の中で、全国に四通八達する国鉄線で撮影した列車写真は、著者自身のアーカイブスの中で大きな割合を占めている。
かねてから、端正な国鉄列車写真とその出自を解説する出版物を構想し、今般、アナログ作品のデジタルリマスター化を進捗させるなど、「本造り」に向けて邁進してきた。
掲載した国鉄列車の解説には、このジャンルの泰斗である寺本光照氏を共著者に迎えて、該当列車の出自や列車編成図など、精緻な解説を記述している。
国鉄列車を一冊で纏めるには膨大な頁数となるため、機関車牽引の動力集中型と電車・気動車の動力分散型に二分した。「電車・気動車列車編」として編集した本書では、電車特急、気動車特急、電車急行、気動車急行を多数の写真と解説文、列車編成図とともに掲載している。

2021/9/15

ふるさと広島今昔散歩 広島・宮島・呉・尾道・福山・瀬戸内の街と島々・県北部

日本全国には、訪ねて見たくなる街、ふるさとがたくさん残っています。その街や村、ふるさとの懐かしい姿を絵葉書や地図などで紹介する書籍のシリーズ、その第一弾として、ここに広島県を取り上げます。広島県には県都・広島をはじめとして、呉、尾道、福山、竹原といった個性的な風景が残る場所が点在し、宮島のような世界に誇る観光地があります。瀬戸内海に面した港町、古くからの城下町、お寺や坂の多い景勝地、醸造で栄えた町・・・。懐かしい人々が暮らしていた、心休まる風景が県下にはまだ残されています。
一方で、宮島とともに世界遺産に登録されている原爆ドームは、原爆の投下前には異なる風景が周囲に広がっていました。この昭和戦前の風景、さらにさかのぼった明治、大正の街の様子は、絵葉書や古い写真でしか見られないものです。そんな古い風景の拠りどころを発掘し、古地図や鳥瞰図などとともに整理、構成したのが本書です。その総数は約500点。多くの方の目にとまるページ、風景が必ずあるはずです。

2021/8/24

国鉄旅客列車の記録 【客車列車編】

著者は1960年代から国鉄列車の撮影に親しんできた。とりわけ東海道新幹線開通前の東海道本線は151系特急電車が東京~大阪間を疾駆する戦後の黄金時代であった。1963年から翌1964年にかけて、及ばずながら東海道本線の優等列車撮影に熱中していた。以来。半世紀に及ぶ鉄道写真歴の中で、全国に四通八達する国鉄線で撮影した列車写真は、自身のアーカイブスの中で大きな割合を占めている。国鉄列車を一冊で纏めるには膨大な頁数が予想されるため、「客車列車編」と「電車・気動車列車編」の二分冊にして上梓。

2021/8/24

想い出の国鉄・JRアルバム 第2巻 常磐線 1960年代~90年代の記録

東京都荒川区の日暮里駅と宮城県岩沼市(仙台市の南)の岩沼駅343.7キロを結ぶ常磐線は、明治22年に水戸付近で部分開業し、その後、明治30年に平(現在のいわき)まで開業しています。当初は常磐炭田で産出される石炭輸送を主な目的としたほか、日立鉱山や日立製作所関連の旅客と貨物輸送により、戦前・戦後を通じ日本経済の大動脈としての機能を担ってきました。さらに岩沼までの全通後は東北本線のバイパスとしての役割を強めました。海岸線近くを通る常磐線は、東北本線と比べて起伏が少ないことが蒸気機関車時代においては有利に働きました。その後、「石炭から石油」へのエネルギー革命によって、昭和48年には常磐線沿線の石炭輸送は終焉しましたが、特急「ひたち」の運転開始、つくば市での「科学万博」開催による旅客増、取手以南のベッドタウン化などを経て発展を続けてきました。本書は蒸気機関車が特急列車を牽引した時代から近年までの常磐線の歴史を、貴重な写真で記録したものです。

2021/8/24

未来へつなぐ日本の記憶 昭和SLグラフィティ 〔北海道編(上巻)〕

北海道の鉄道は太平洋戦争前は樺太(現・サハリン)への物資輸送を担ったほか、道内各地で産出される石炭を運んで日本全国にエネルギーを供給した。そして戦前戦後を通じて鉱業、農業、林業、水産業、流通、観光といった北海道の産業と文化を支え続けた。著者は昭和40年代以降の数年間、それぞれが夜行急行列車や青函連絡船を乗り継いで北海道を訪れ、道内各地を駆け回り、SL最後の雄姿を白黒フィルムに切り取った。それからほぼ半世紀が経ち、この国の昭和の鉄道史、経済・社会史の一端を編むことができ、追憶の一助になればと願う。

2021/8/12

名古屋鉄道の貨物輸送

名古屋鉄道(名鉄)は、昭和30年代には900両近い貨車を所有し、各路線で多数の貨物列車を走らせていました。
その後は道路整備とトラック輸送の拡大によって衰退し、昭和60年代に全廃されてしまいました。
本書はこれまでほとんど記録が出版されてこなかった名鉄の貨物輸送について、名鉄OBと私鉄貨車研究家による記録の集大成です。
名鉄ファンならずとも楽しめる、懐かしい写真が盛りだくさんの1冊です。

2021/8/4

都電荒川線 沿線ぶらり旅

都電荒川線は、もともと明治42年に王子電気軌道が現在の飛鳥山~大塚間で開業した路線が順次、三ノ輪橋~早稲田間に延伸開業し、それを東京市(現在の東京都)が買収したものです。当時は三ノ輪橋~赤羽の27系統と、荒川車庫前~早稲田の32系統の2つの路線が存在していました。1960年代後半には都電の各路線が次々と廃止されましたが、この2つの系統は路線の大半が専用軌道のため交通渋滞の原因となりにくいことから、廃止されることなく「都電荒川線」と改称されて現在まで走り続けています。沿線各地に広がる下町の風情や寺社仏閣、東京近代化の産業遺産など見どころは尽きることがありません。本書片手にぜひお出かけください。

2021/7/20

発掘写真で訪ねる都電が走った東京アルバム 第4巻 15~18系統

シリーズ4巻目の本書では、山手線の西北部と都心・下町を結ぶ4つの路線を紹介します。15系統は高田馬場と茅場町(後に洲崎まで延伸)を結び、現在の東京メトロ東西線とほぼ同様のルートでした(昭和43年9月廃止)。16系統は大塚駅前から上野広小路を経由して錦糸掘(錦糸町)までを結び、現在は都バスの主要路線の一つになっています(昭和46年3月廃止)。17系統は池袋駅前から水道橋・神田橋を経由して数寄屋橋までを結んでいました(昭和46年3月廃止)。18系統は志村坂上から巣鴨・白山上を経由して神田橋を結ぶ路線で、現在の都営地下鉄三田線と同様の区間が多く含まれます。本書には各路線の沿道で撮られた昭和の街角風景が豊富に掲載されています。

2021/7/20

北海道の国鉄アルバム 下巻 根室本線、富良野線、釧網本線、石北本線

北海道の現役路線の1970年代~80年代の姿を紹介するシリーズ3巻目は主として道央を走る4路線です。根室本線は函館本線との乗換駅である滝川駅と根室駅を結ぶ全線単線・非電化の路線で443.8キロという長距離路線。明治33(1900)年に北海道官設鉄道十勝線として開業しています。富良野線は旭川駅と富良野駅を結ぶ54.8キロの路線で、明治32(1899)年に開業しています。美瑛・富良野などの有名観光地が沿線にある一方で、旭川近郊の区間では旭川への通勤通学路線という側面も大きくなってきています。釧網本線は太平洋側の釧路とオホーツク海側の網走を結ぶことを目的として大正13(1924)年に開業しました。路線距離166.2キロの沿線には知床・阿寒湖・摩周湖・釧路湿原などの観光スポットが広がり、近年では観光路線として振興が図られています。石北本線は新旭川駅と網走駅を結ぶ234.0キロで大正元(1912)年の開業。路線名の「石北」は律令時代の国名である「石狩国」と「北見国」から採られています。本書ではこれら4路線を走る蒸気機関車時代の写真から気動車まで、懐かしい様々な鉄道写真をお楽しみいただけます。

2021/6/28

北海道の国鉄アルバム 中巻 室蘭本線、日高本線、千歳線、石勝線

北海道の現役路線の1970年代~80年代の姿を紹介するシリーズ2巻目は主として道央を走る4路線。室蘭本線は北海道炭礦が明治明治25年に開業し、国有化後の昭和3年に長万部と岩見沢211キロを結ぶ全線が開業しています。また日高本線は苫小牧から様似まで146.5キロを結んでいたものの、全路線の8割を占める鵡川以南は2021年4月に廃止が正式決定しています。その結果「本線」を名乗るJRの路線では最短の30.5キロとなりました。千歳線は苫小牧市の沼ノ端と札幌市の白石、千歳市の新千歳空港駅を結ぶ路線で道内唯一の全線が複線化されている路線(支線を除く)でもあります。石勝線は1892年に北海道炭礦鉄道の夕張線として開業し、現在では道央と道東を結ぶ基幹路線です。本書ではこれら4路線を走る蒸気機関車時代の写真から気動車・電車まで、懐かしい様々な鉄道写真をお楽しみいただけます。

2021/6/22

想い出の国鉄・JRアルバム 第1巻 非電化時代の相模線各駅停車

東海道線茅ケ崎駅と横浜線橋本駅を33.3キロで結ぶJRの相模線は、現在の相模鉄道により大正10(1921)年に茅ケ崎側から開業して昭和6(1931)年に橋本まで全通。その後、太平洋戦争中の昭和19(1944)年に戦時下の私鉄買収の一環として国有化されました。国有化の理由は都心部が攻撃された際にも八高線・横浜線・相模線という都心迂回ルートを確保するためと言われています。もともと相模川の砂利輸送への依存度が高かった路線であり、昭和35(1960)年頃に砂利の採掘が禁止されて貨物輸送が激減するに至ったことは大打撃でした。こうしたことから関東地方の国鉄線としては有数の赤字路線ではあったものの、厚木の日産自動車からの自動車輸送や沿線のベッドタウン化により廃止を免れた歴史があります。本書では平成3(1991)年に電化される以前の沿線各駅の駅舎と鉄道写真を中心に、懐かしい沿線風景をお楽しみ頂くことができます。

2021/6/21

昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 第10巻 北関東のローカル線 東武鉄道の蒸気機関車と廃線 (昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 北関東のローカル線)

本書は全32巻の「地方私鉄シリーズ」の第3回配本。本書では北関東を中心とした東武鉄道の廃止路線のうち、矢板線、熊谷線、伊香保軌道線、日光軌道線を紹介。さらに東野鉄道、東武伊勢崎線、東武東上線、江戸川河川改修工事で活躍した蒸気機関車、葛生周辺の専用鉄道線の機関車、西武鉄道の支線で活躍した蒸気機関車やガソリンカー等も紹介します。

2021/5/25

東急田園都市線ぶらり歴史散歩

「田園都市線」の路線名称は、改めて言うまでもなく「多摩田園都市」に由来します。東急を興した一代の傑物、五島慶太が戦後間もない昭和28(1953)年、将来の東京における人口の過密を予測して発表した「城西南地区開発趣意書」が、後に「多摩田園都市」と呼ばれることになる壮大なニュータウン開発計画の第一ページとなりました。
五島慶太は心残りなことに多摩田園都市を実現させる前の昭和34(1959)年に77歳で没しましたが、溝の口駅以西はこの「多摩田園都市」の中核をなす交通機関として建設されました。

田園都市線のルーツを遡れば、東京横浜電鉄を率いる五島慶太が昭和初期に渋谷で覇を競った玉川電気鉄道に行き着きます。本書では渋谷~中央林間を結ぶ沿線の歴史を各駅ごとにたどります。

2021/5/24

東急田園都市線が開業した時代の各駅記録

現在では東京都心に通勤通学する多くの人たちのベットタウンとして発展した田園都市線。現在に至る街づくりのスタートは、1966(昭和41)年の溝の口~長津田間の開業、1968年のつくし野延伸、1972年のすずかけ台延伸、1976年のつきみ野延伸、1984年の中央林間延伸と広がりを見せます。開業当初は丘陵地に小さな駅舎がポツンと設けられた沿線各駅も次第に住宅地として発展を遂げます。本書では開業当時の懐かしい駅舎・駅前風景等の写真、往年の田園都市線を走った東急電鉄の電車の数々を振り返ります。

2021/5/24

北海道の国鉄アルバム 上巻(函館本線、札沼線、留萌本線、宗谷本線)

これまで全4巻で発行した『北海道の廃線記録』に続き、本書は北海道の現存路線を全3巻で紹介。上巻では北海道の大動脈として函館~札幌~旭川を結ぶ函館本線、旭川~名寄~稚内を結ぶ宗谷本線、深川~留萌を結ぶ留萌本線、札幌近郊の桑園~北海道医療大学を結ぶ札沼線を紹介します。函館本線を驀進する大型蒸気機関車C62の迫力をはじめ、9600形やD51形蒸気機関車などの姿、気動車、電車の写真も数多く掲載し、現存路線の国鉄時代をお楽しみいただけます。

2021/4/20

昭和・平成を駆け抜けた 想い出の客車急行

機関車牽引客車列車は蒸気機関車の時代はもちろん、電気機関車、ディーゼル機関車の時代になっても鉄道の中心的存在で、特に機関車を先頭に普通車、グリーン車、寝台車、食堂車、荷物車、郵便車と各種車両を連ねた長距離の客車急行列車は列車らしい風格があふれていた。この客車急行は鉄道が交通機関の中心だった時代に東京、大阪と全国各地を結び、旅客だけでなく郵便物や新聞、荷物も迅速に各地に運び、人々の交流、情報伝達にも大きな役割を果たしていた。
本書では1939(昭和14)年11月、1962(昭和37)年6月、1969(昭和44)年7月、1975(昭和50)年3月時点の客車急行列車を紹介する。それぞれ戦前の全盛時代、戦後の全盛時代、急行から特急へ主役が移った時代、東京~博多間に新幹線が開通した時代である。東京~鹿児島間が一昼夜24時間以上、上野~青森間13~14時間であり、今から振り返ると気の遠くなる時代の記録をお楽しみいただきたい。

2021/4/20

ふるさと東京今昔散歩 第2巻 羽田・大森・蒲田編

シリーズ2巻目の本書では、羽田・大森・蒲田を取り上げます。羽田の街は江戸の漁師町である東京湾の砂州から、明治時代には人気の神社の門前町となりました。さらに大正・昭和戦前の時代には行楽地となって、現在は東京国際空港のお膝元、東京の空の玄関口となっています。大森は海岸沿いのリゾート・別荘地だった歴史があり、蒲田は映画の街として多くの人々の記憶に残っています。本書では東海道沿いのそれら3つの街の風景の変遷を辿りました。
(1章→羽田・穴守、2章→空港とモノレール、3章→鉄道が結ぶ駅と街、4章→大森の市街地と丘陵部、5章→大森海岸・森ケ崎、6章→大井・鈴ヶ森、7章→娯楽と産業の蒲田)

2021/4/20

オールカラー 北海道の廃線記録(石北本線、釧網本線沿線編)

北海道の廃線記録シリーズ4巻目の本書では、名寄駅と遠軽駅を結ぶ名寄本線(大正4年開業、平成元年廃止)、中湧別駅と網走駅を結ぶ湧網線(昭和10年開業、昭和62年廃止)、渚滑駅と北見滝ノ上駅を結ぶ渚滑線(大正12年開業、昭和60年廃止)、興部駅と雄武駅を結ぶ興浜南線(昭和10年開業、昭和60年廃止)、美幌駅と北見相生駅を結ぶ相生線(大正13年開業、昭和60年廃止)、斜里駅と越川駅を結ぶ根北線(昭和32年開業、昭和45年廃止)、標茶駅と根室標津駅を結ぶ標津線(昭和8年開業、平成元年廃止)の7路線を掲載。
北海道各地のローカル線が元気だった時代の沿線風景を懐かしい写真で振り返る。いずれも見ごたえのある大判の写真を中心に掲載。

2021/3/22

発掘写真で訪ねる都電が走った東京アルバム 第3巻 11~14系統

シリーズ3巻目の本書では、新宿駅前から都心方向に向かう11系統~13系統と、青梅街道を荻窪に向かう14系統を紹介します。
11系統は新宿駅前から四ツ谷・日比谷を経由して月島通りへ(昭和43年廃止)、12系統は新宿駅前から九段下・浅草橋を経由して両国(昭和45年廃止)、13系統は新宿駅前から神楽坂・飯田橋・秋葉原を経由して水天宮(昭和45年廃止)。
一方、戦前は西武鉄道軌道線だった14系統は、新宿駅前から高円寺・阿佐ヶ谷を経由して荻窪まで走っていましたが、営団地下鉄の工事により昭和38年に廃止されました。
本書には各路線の沿道で撮られた昭和の街角風景が豊富に掲載されています。

2021/3/22

オールカラー 北海道の廃線記録(留萌本線、宗谷本線沿線編)

北海道の廃線記録シリーズ3巻目の本書では、留萌本線の廃止区間(平成28年廃止)である留萌~増毛間、深川駅と名寄駅を結ぶ深名線(大正14年開業、平成7年廃止)、留萌駅と幌延駅を結ぶ羽幌線(昭和2年開業、昭和62年廃止)、美深駅と仁宇布駅を結ぶ美幸線(昭和39年開業、昭和60年廃止)、音威子府駅と南稚内駅を結ぶ天北線(大正元年開業・平成元年廃止)、浜頓別駅と北見枝幸駅を結ぶ興北北線(昭和11年開業、昭和60年廃止)の6路線を掲載。
北海道各地のローカル線が元気だった時代の沿線風景を懐かしい写真で振り返る。いずれも見ごたえのある大判の写真を中心に掲載。

2021/3/15

昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 第13巻
甲信越の私鉄(2) 信越本線沿い 上田丸子電鉄(丸子線、別所線、西丸子線、真田・傍陽線)、長野電鉄(長野線、屋代線、木島線) (昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 甲信越の私鉄 2 信)

上田丸子電鉄は大正7年に開業した丸子鉄道と、大正15年に開業した上田温泉電軌(後の上田電鉄)が起源で両社が昭和18年に合併。
長野電鉄は大正11年開業の河東鉄道と、大正15年開業の長野電気鉄道が起源で、両社が大正15年に合併したものです。現在ではJR信越線沿線の私鉄として通勤輸送と観光客輸送に大きな役割を果たしています。
本書は鉄道趣味界の重鎮、とりわけローカル私鉄研究の第一人者である髙井薫平氏の著作。バラエティに富んだ車両や駅舎、貴重な空撮写真などを加えた著者渾身の一冊。
全32巻予定の「地方私鉄シリーズ」の第2回配本。

2021/2/20

全駅紹介 中央線(東京~高尾)ぶらり途中下車

中央線の前身である甲武鉄道が新宿~立川間を走り出したのは明治22(1889)年、大日本帝国憲法が公布された年のこと。赤煉瓦駅舎の東京駅の開業は大正3(1914)年で、第一世界大戦が起きた年。走り始めてから約130年。中央線は日本の近代化と風雪の時代を歩んできたことになる。
本書では東京~高尾間を取り上げたが、走り続けた年月を思えば中央線は成熟路線であり、沿線に変化は見られないものだ。しかし、中央線は東京駅を始めに沿線のそこかしこで駅と街の表情が今も変わり続けている。
新宿駅西口では小田急百貨店を核にした超高層駅ビル計画が動き出し、中野では西口駅舎建設が動き出している。東小金井という地味な駅にも、昭和40年代は自動車鉄道輸送の拠点となった北口の再開発事業が動き出し、武蔵小金井では沿線最大級といわれる再開発事業で南口の装いは一新した。ツインタワーが屹立する国分寺北口も交通広場が整備され、中央特快停車駅にふさわしい駅姿になった。変化の波は高尾にも及び、駅周辺整備事業で長年馴染んだ北口駅舎の移設が決まった。十年一昔というが、一年ぶりに沿線各駅を歩いてみて、その変わりように驚かされたものだ。
国立では、鉄道総研への引き込み線跡が緑道として整備されていたが、本書では今は伝承の世界になりつつある中央線に設けられていた引き込み線の地図を掲載した。沿線随所で見え隠れする歴史ドラマとともに、記憶も定かではなくなった引き込み線があった時代に思いを馳せると、沿線歩きの面白さも増幅されるというものだ。

2021/2/17

オールカラー 北海道の廃線記録
(室蘭本線、日高本線、根室本線沿線編)

開発と殖民が主目的で建設された北海道の鉄道。
昭和30年代初頭までは石炭産地らしく蒸気機関車が牽く客車列車をはじめ鉄道輸送が充実していた。
しかし、昭和40年代後半から50年代になると、並走する道路整備で利用客の減少が目立ち、国鉄再構築の一環として旅客輸送密度の低い路線が廃止の対象となった。
本書は北海道のローカル線が元気だった時代を懐かしい写真で改めて振り返る。
室蘭本線沿線の胆振線・夕張線・万字線、日高本線沿線の富内線、根室本線沿線の広尾線・士幌線・池北線・白糠線を掲載。いずれも見ごたえのある大判の写真を中心に掲載。

2021/2/15

会津のローカル線 只見線、会津線、日中線

城下町として名高い会津若松は、会津地方の鉄道の要衝であり中心都市でもある。国鉄分割民営化前の会津地方には会津若松を基点に磐越西線、只見線、会津線が、さらに喜多方からは日中線が走っていました。
日中線は昭和59(1984)年4月1日に廃止、会津線は国鉄民営化後の昭和62(1987)年7月16日には第三セクター会津鉄道と経営形態が変わりました。
会津滝ノ原が終着駅であった会津線も現在では昭和61(1986)年10月9日には東武鉄道新藤原~会津滝ノ原(現・会津高原尾瀬口)間が野岩鉄道として開通、会津若松~浅草が一本の路線で結ばれるようになっています。
本書は昭和40年代の蒸気機関車時代に撮影された写真を中心に、JR化後のキハ40等の写真を含め、大判の見ごたえある写真で構成。沿線の素晴らしい景色と懐かしい国鉄情景をお楽しみいただけます。

2021/1/20

懐かしい国鉄駅舎と鉄道風景(多摩地域)
中央線、青梅線、五日市線、八高線、南武線、横浜線、武蔵野線】

昭和40年代~50年代に撮影された懐かしい国鉄駅舎と国鉄型列車の写真を美しいカラー写真を中心に多数掲載。当時の情景がよみがえります。
中央線は吉祥寺駅、三鷹駅、武蔵境駅、東小金井駅、武蔵小金井駅、国分寺駅、西国分寺駅、国立駅、立川駅、日野駅、豊田駅、八王子駅、西八王子駅、高尾駅。
青梅線・五日市線・八高線は西立川駅、中神駅、昭島駅、拝島駅、福生駅、羽村駅、河辺駅、青梅駅、御岳駅、奥多摩駅、西秋留駅、武蔵五日市駅、北八王子駅、箱根ヶ崎駅、南武線・横浜線・武蔵野線は片倉駅、相原駅、原町田駅、成瀬駅、分倍河原駅、府中本町駅、矢野口駅、新秋津駅を掲載しています。

2021/1/20

185系特急電車の記録

1981(昭和56)年に登場した国鉄の185系電車は、特急形車両でありながら通勤通学輸送にも対応できる車両として活躍しました。
もともと153系電車の置き換えを主眼に開発され、急行「伊豆」を特急に格上げするためにも重宝な存在でした。
185系は国鉄が最後に製造した優等列車用の車両であり、全車両がJR東日本に継承され、各種の特急列車や通勤時のライナーとして活躍したことは記憶に新しいところです。
その185系が2021年春に引退することから、本書では誕生から引退までの軌跡を多数の写真をもとに紹介します。

2021/1/18

武道に学ぶめげない子育て論

福島県の農家の長男に生まれた著者は、高校を卒業するまではとても大人しく消極的な三日坊主の少年だった。そんな著者が、高校入学と同時に空手の道にのめり込み、厳しい稽古の中から「あきらめない心」を学び、やがて設計会社の社長になりたい、強くなって空手の先生になりたいという二つの夢を抱く。
その夢が叶い、「会社経営」と「道場運営」の二足の草鞋を履いた著者は、人と真剣に向き合えば向き合うほど様々な葛藤や困難に遭遇し、その苦悩を乗り越え、会社の社員教育や道場の生徒育成をする中で、「武道教育」の重要性や有効性を確信する。武道教育こそが人を育て、子どもたちの未来を、そして日本の未来を開くのだと。
そんな想いを強く抱き、武道教育の普及・発展に取り組んでいた矢先、あの東日本大震災に襲われる。生活が一変し、故郷に残れるかどうかもわからない不安や無力感の中で、心の隙間を埋めてくれたものは、やはり長年継続してきた空手道だった。
人生なんて思うようにならないことの方が多い、努力しても報われるとは限らない、夢なんて叶わないことの方が多い。だが人生は、挫折の繰り返しであり、大人も子供も「めげない」でそこから立ち上がり、自らの道を切り開いていくしかない。
本書は、どんな時でも前を向いて歩くことの大切さ、「あきらめない心」 を未来を生きる子どもたちと親に伝えるものである。自分が辛い時ではなく、辛さを乗り越えたい時に背中を押してくれる本であり、「教育=子育て」に奮闘する親、特にお母さん達の必読書である。