新刊書籍

2022/06/28

国鉄優等列車列伝 第5巻 「白鳥」「日本海」「きたぐに」 関西~青森間を駆け抜けた優等列車の記録 (国鉄優等列車列伝 5巻)

大阪-青森間は日本海縦貫線と総称される。かつては裏縦貫線と呼ばれていたが、「表日本」に対する「裏日本」はイメージが暗く、また差別的な響きがあることから「日本海時代」が叫ばれた1970年代から「日本海側」と呼ばれるようになり、裏縦貫線も1972年の全線電化前後から日本海縦貫線と呼ばれるようになった。
近世(江戸時代以降)においては関西から瀬戸内海を回り北陸、越後、庄内、秋田を経て北海道南部へ日本海沿岸を北上する西回りの海路が主流になった。いわゆる北前船ルートで、米などを輸送する重要な物資輸送路だったが常に遭難の危険があった。陸路で行く場合は難所だらけでその代表は親不知、子不知の天険であろう。このように日本海側ルートは陸路、海路ともに困難な道であった。
鉄道も同様で、大阪から富山まで鉄道の開通は1899年だが大地溝帯を突破して新潟までつながったのは1912年、難所の突破がいかに困難だったかを物語る。羽越本線が全通し、大阪から青森へ日本海縦貫線が全線開通したのはようやく1924(大正13)年7月で、東北本線青森までの鉄道開通(1891年)に遅れること30余年、しかも急勾配や冬季の雪害など線路条件、自然条件も悪く、太平洋側の東海道・東北(常磐)経由との差は歴然であった。
戦後になり電化および線路改良が進み、1969(昭和44)年10月には新潟までの電化および複線化(一部を除く)が完成した。新潟以北も1972(昭和47)年10月に電化が完成したが、複線化は一部にとどまり現在に至っている。それから40数年後の2015(平成27)年3月、北陸新幹線が金沢まで開通し、同時に金沢-直江津間は「平行在来線」として第三セクター化され旅客輸送は分断され地域輸送に特化し、日本海縦貫線直通列車は貨物列車だけとなった。EF81に代わりコンテナ列車の先頭に立つJR貨物EF510を羽越線内や秋田、青森で見る時、その所属機関区表示「富山」にかつての特急「白鳥」「日本海」の面影を見る。本書は厳しい自然条件にかかわらず走り続けた「白鳥」「日本海」「きたぐに」および「しらゆき」を取り上げた。


2022/06/22

未来へつなぐ日本の記憶 昭和SLグラフィティ〔北海道編(下巻)〕

明治から昭和にかけ、北の大地、北海道の開拓に奮闘した蒸気機関車(Steam Locomotive=SL)は先の大戦後のエネルギー改革の荒波に抗しきれなかった。昭和43(1968)年8月に函館本線札幌周辺で道内初の電車運転が始まり、同年10月の国鉄ダイヤ全面改正、いわゆる「よん・さん・とう」では、小樽~札幌~滝川間117.3キロの電化区間が誕生した。その結果、それまで主役だったSLが急速に電車、電気機関車に置き換わっていった。そのほかの線区でも、気動車やディーゼル機関車の比率が高まってきた。
そうした中で、郷愁と共に、巨大なエネルギーで重い貨物列車や高速急行列車を牽き、黒い煙と得も言われぬ石炭が燃える匂い、そして轟音と振動を産み出すSLの魅力は増すばかりだった。私たちは、ジェット機のような音と共に疾走するC62重連の雄姿を追い、豊かな北の恵みを首都圏・近畿圏に運ぶ重量貨物列車の先頭に立つD51やD52を待ち構えて撮影した。
道北・道東地方に比べて早めに春を迎える道南地区の幹線を走るこうした大型SLの力強さは何物にも代えがたかった。その一方で、支線や私鉄で最後の炭鉱を守る石炭列車を牽くSL達が、閉山・廃線のその日まで、日本のエネルギーを支え続けてきたことで、今日のこの国の繁栄が築かれたことを忘れてはいけない。
航空機や新幹線が発達する前、青森から青函連絡船で北海道に足を踏み入れた人たちは、函館発の長距離列車で道内各地に向かった。本書では、そのうちの1本、19時間半をかけてオホーツク海沿岸の網走にまで達する列車を特に取り上げて紹介する。普通列車で札幌に至り、寝台車を含む夜行急行「大雪6号」として北の大地を横断、険しい常紋峠を越え、そのまま朝の一番列車として寒さが厳しい網走にたどり着くその列車の中には、様々な人生があり、生活があった。
令和2年9月に上梓した『未来へつなぐ日本の記憶 昭和SLグラフィティ〔北海道編(上巻)〕』から1年半以上の歳月が流れてしまったが、平成のC11の活躍を含め、2冊合わせて、極寒の地で日本経済の発展を支えた鉄の塊の活躍を記録に残したものである。

2022/06/20

想い出の国鉄・JRアルバム 第5巻 東京近郊区間(北関東・千葉編) 1970年代~80年代の記録

著者の長渡朗氏は昭和27年に国鉄入職後、静岡機関区にて蒸気機関車の庫内手を経て電気機関車の機関助手に。昭和36年以降は静岡運転所所属の電車運転士として東京~大垣間を運転した元国鉄マン。本書では主に昭和40年代~50年代の高崎線、宇都宮線、総武本線、内房線、外房線をはじめ、沿線の路線を走る列車写真を、見開き中心の大きなサイズでカラー掲載。全盛時代の国鉄型電車等が多数登場します。

2022/05/25

国鉄型普通電車が走る 日本の鉄道風景

主要幹線等、全国の国鉄路線で電化が推進されていったのは昭和30年代以降のこと。それまで機関車が牽引する客車や気動車で運転していた旅客列車は、電車に置き換えられた。架線が張り巡らされた線路上を走るそれらの車両は、動力近代化が叫ばれる下で誕生した近郊型電車や通勤型電車が主力だった。直流、交流と地域による電化方式の違いはあったが、多くの電車は似通った外観や車内設備を備え、国鉄型と括って称するに相応しい一体感があった。
一方、昭和時代以前に創業した民鉄に端を発する国鉄買収路線等では、第二次世界大戦前より、都市圏の輸送に活躍した旧型国電が活躍していた。武骨ないで立ちの電車は長い年月を経て、沿線の日常風景に馴染んだ存在となっていた。しかし、ほとんどの車両は新たに設計された一モーター車へ、昭和末期までに置き換えられた。そして、旧型国電に替わって登場した電車も、異なる形式ではあるものの、基本仕様が共通な車体を載せた国鉄型であった。
国鉄の分割民営化から30年余りの時を経て、これらの国鉄型電車は多くの路線で過去の存在となりつつある。民営化以降、各地で新たな地域色に塗装を変更した車両も多かった。
また、一部の路線では従来の優等列車用車両が、運用の都合や特急、急行の廃止で格下げされ、普通列車に充当された例があった。
それでも全国に浸透した同様なかたちの電車は、日本国有鉄道を偲ばせる象徴の一つであろう。その形状と色彩は、国鉄時代の情景として深く記憶に刻まれている。湘南色、スカ色、ウグイス色等、都市部で親しまれた塗装の多くは、現在の主力であるJR世代の電車に、ステンレス車体に巻かれた帯等となって引き継がれている。

2022/05/25

EF58 最後に輝いた記録

国鉄蒸気機関車が終焉を迎えた1975年当時、筆者は「ポスト蒸気機関車」として新たな被写体を模索しており、国鉄特急列車やブルートレインが有力候補だった。その被写体の一つとして浮上したのがEF58に代表される国鉄旧型電気機関車で、ことに東海道・山陽・東北の三大幹線で活躍するEF58は、ポスト蒸気機関車の絶好の被写体として注目を浴びることとなった。
1975年から1980年初頭にかけて、東海道筋の根府川、函南、金谷、関ケ原など、景勝地を走る美しきゴハチのフォルムを追い求める日々を過ごした。あれから半世紀近い歳月が流れ、カラーポジフィルムの退色等を考慮して、EF58が有終の美を魅せた1970年代の作品を写真集として上梓する最後のチャンスだと認識した。
自身のアーカイブスとして保存してきた伝説の「コダック・コダクロームIIフィルム(KII)」で撮影したEF58の名場面を厳選して、カラーグラフを構成した。モノクログラフには、ハッセルブラド+ゾナーレンズによるゴハチ作品に加えて、青大将の「つばめ・はと」や20系ブルートレインを牽引する全盛時代も、筆者の諸先輩の作品をお借りして構成することができた。

2022/05/24

国鉄優等列車列伝 第4巻 「とき」「佐渡」 上野~新潟を駆け抜けた優等列車の記録

このシリーズ第4巻の本書では、上野~新潟を結ぶ優等列車を特集する。第1章で上野(東京)~新潟間列車の変遷史について上越線開業前の明治・官民並立期に、碓氷峠をアプト鉄道で越えていた頃から、JR化後の寝台特急「北陸」、急行「能登」廃止の2010年まで、年表や時刻表、編成図も交えて時系列で解説する。そして、第2章では上越線全線を走破する優等列車のうち、上野(東京)~新潟間列車を中心に写真で活躍の跡を振り返る構成とした。
本書により、難攻不落だった急峻な谷川連峰を抜ける鉄道建設に挑み、さらには「耐雪」から「克雪」への努力を重ねた先人たちの苦闘の跡や、新幹線開業前のバラエティー豊かな列車群の活躍ぶりに、昔年の鉄道への想いを馳せていただければと思う。

2022/04/26

昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 第16巻 北陸の電車たち(2) 石川県の私鉄

北陸3県(富山県、石川県、福井県)には県内の鉄道網を束ねるそれぞれの鉄道が存在しました。それらは最初、独立した鉄道として生まれ、戦時中の国策で電力会社との関係の強かった福井県以外はほぼ1県1社の組織に統合されました。面白いのは富山県と石川県ではそれぞれ県名を冠していますが、石川県だけは石川鉄道にならず「北陸鉄道」というこの地方の総称を会社名に採用しました。この結果、北陸といえばまず金沢、次に富山、福井の名前が自然に出てきます。しかしここでも「石川」という県名は忘れられた感じがします。
北陸3県にも多くの私鉄が存在しましたし、今も元気な鉄道会社も少なくありませんが、本書ではこれを3回に分けてご紹介します。その第1回に北陸鉄道を取り上げることにしました。北陸鉄道は戦時中の鉄道統制令で石川県の多くの中小私鉄が金沢電気軌道のもとにほぼ統合され、戦時中北陸鉄道(第1次)となり、これが現在の北陸鉄道の母体となります。そして終戦後の昭和20年10月に浅野川電気鉄道が合併して、北陸鉄道が完成します。
しかし、北陸鉄道を構成する路線の多くはぜい弱な体質と、昭和30年代に始まったマイカーブームや道路整備により輸送手段は自動車に移っていき、多くの路線が廃止に追い込まれてしまいます。現在でも残るのは不採算区間をそぎ落とした石川線と浅野川線だけになりました。この2線の走る地域は金沢市の通勤圏に含まれ、通勤路線として活路を見出しています。
そのほか北陸鉄道小松線と同じ国鉄北陸本線小松駅から出ていた尾小屋鉄道もご紹介いたします。

2022/04/25

発掘写真で訪ねる 荒川区・足立区古地図散歩~明治・大正・昭和の街角~

江戸四宿で最大の繁華を誇った千住宿は千住北組・中組・南組で構成されていました。千住中組と千住南組の間を隅田川が流れており、明治に入って隅田川以北は南足立郡となり、以南は北豊島郡に属したことから、後に千住北組、中組は足立区となり、千住南組は荒川区に入った歴史があります。
近代に入ってから荒川、足立の両区は千住宿を構成していた千住南組改め南千住と、千住北組及び中組の通称北千住区域がその発展を牽引してゆきましたが、その後の歩みは両極端とも言えます。
明治初期から大正~昭和にわたって南千住をリーダー役として工業都市化が始まった荒川区は、王子や上野と近接していたことからほぼ全域にわたって市街地化が進展。荒川区は、面積では東京23区で22番目という狭い区域でありながら、昭和15年には東京都区部で最高の35万人という人口を数えたほどでした。一方の足立区は、東京でも有数のターミナル駅となった北千住周辺以外は一面に田畑が広がる農村地帯でした。その市街地化は昭和40年代以降であり、鉄道空白地帯はさらに遅れて平成に入ってからのことです。日暮里・舎人ライナー沿線やつくばエクスプレス沿線がその好例に挙げられます。
荒川区は戦後の「モノづくりの街」から脱却。住宅都市へと転換して現代の都市風景を象徴するのは、南千住だけとも言えます。明治期から昭和期の戦前戦後にわたって物流の一大拠点だった隅田川駅用地が再開発エリアとなっています。
両区の明治期以降の歩みを、本書の古地図での時空散歩でお楽しみください。

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2022/06/28
新刊発売【国鉄優等列車列伝 第5巻 「白鳥」「日本海」「きたぐに」 関西~青森間を駆け抜けた優等列車の記録 (国鉄優等列車列伝 5巻)
2022/06/22
新刊発売【未来へつなぐ日本の記憶 昭和SLグラフィティ〔北海道編(下巻)〕
2022/06/20
新刊発売【想い出の国鉄・JRアルバム 第5巻 東京近郊区間(北関東・千葉編) 1970年代~80年代の記録