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- 2023.01.06
新刊書籍
2023/3/7
京浜急行電鉄1960年代~70年代の写真記録
第二次世界大戦後に東京急行電鉄から分離するかたちで発足した京浜急行電鉄。東京、川崎、横浜と三浦半島の沿岸に点在する行楽地を結んで展開された路線には創業当初、前身となった会社が昭和初期に製造した電車群が運用された。ゆったりとした大きさの窓が印象的だったデハ230には、後に登場した高性能車に伍した電車としての美しさがあった。
日本が高度経済成長期に入ると大量輸送を支えるべく、高性能なロングシート車が主力として台頭した。初代1000形は19年間の長きに渡り製造され、都市間輸送の速達列車から支線区の普通列車まで、活躍の場を広げていった。また三浦海岸、逗子等の行楽地に向けては列車名を掲出した特急列車が運転されて沿線に花を添えた。夏休み期間中には、三浦半島の海水浴場へ向けた期間限定の特急が運転された。昭和30年代当時、冷房装置はまだ京急電車に浸透していなかったが海で一日遊んだ後、若干気だるい体で乗り込んだ品川行きの特急列車で、開け放った窓から流れ込む風は心地良かった。
東京と横浜を結ぶ民鉄黎明期の電車から車体塗装をまとった初期の高性能電車が共存していた京急の発展期は、趣味人として非常に興味深いひと時だった。本書はそうした時代の写真集である。
2023/1/26
発掘写真で訪ねる 千代田区・中央区・台東区古地図散歩 ~明治・大正・昭和の街角~
千代田区・中央区・台東区の三区は東京23区の中でも有数の古い歴史を持つ。しかし、いま生きている世代にとって一番馴染みのある昭和戦後時代が消えているのは、時の流れとはいえ、感慨深いものであった。
著者が青春時代に馴染んだ三原橋地下街は埋め立てられ、その一部は通行人が一休みできるポケットパークになっていた。地下街は、三十軒堀が戦災の瓦礫処理で埋め立てられて生まれた。それから45年の歳月が流れた平成25年3月31日、地下街は閉鎖され、埋め立て工事が始まった。
三原橋地下街は学生時代からの20代、随分と通った。狭いながらも映画館が3館あった。ビンボーだった青春時代は、和洋の名作・ヒット作が周回遅れとはいえ、格安で見られたからだ。また、小料理とは名ばかりの一杯呑み屋もあった。若い時代には格好の空間だったのが、三原橋地下街だった。
もっとも銀座通りそのものも、いまでは多くの海外一流ブランドが建ち並んでいる。行き交う人も含めて馴染んでいた昭和の時代の銀座通りとは別物になったような観もする。
information
2023/03/07
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新刊発売【京浜急行電鉄1960年代~70年代の写真記録
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2023/02/21
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新刊発売【京急電鉄 ~1990年代以降の写真記録~
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2023/01/26
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新刊発売【発掘写真で訪ねる 千代田区・中央区・台東区古地図散歩
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